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3.10東京大空襲のB-29側の事

B-29のことについては既にこのブログのまえのほうで、両三度、解説しました。Internetを駆使しても、B-29の航続距離エンジンの大きさはわかりますが、、、これはあくまで規格値、実際の燃料搭載量、タンクの容量についての記載は不思議なほどまったく見当たりません。イギリスに貸与されたはずの、ワシントン Mk 1と呼称した88機のB-29に関するイギリスで戦後発行された航空雑誌のデータベースによってのみ初めて、Bー29の翼内タンク、中央燃料タンク、や爆弾倉に仮設する空輸時の増槽の搭載容積等がわかりました。ずいぶんの手間隙かかりました。
Boeing_Washington_heavy_bombers_-_1951_201503161121579c3.jpg
翼内が前縁槽x2で1320usガロン、後縁槽x2で1420USガロン、センタータンくが1393USガロンで、USガロンは約4.4リットルなので、満杯量とすると、約19キロリットルつま3りB-29一機当たり20Kリットルタンクローリー一台分の航空ガソリンを搭載して、北西風に逆らって、グアム、サイパン、テニアンから、3000kmの日本本土に飛んできてまた帰島するには並大抵の苦労ではなかったようです。B-29の仕様書では航続距離は5380km、、、当時の発信基地イズリー基地に並んだB-29の写真と、20Kリットルのタンクローリーです。
300px-Isley_field_end_of_war_lg.jpg
20kl tank ro-ri-
3月10日、の東京大空襲は、1月21日に、交代した無差別絨毯爆撃も辞せずと言う、ルメイ少将が計画指揮しました。
その指示事項は3項で、、、
1.なるべく焼夷弾を搭載し木造家屋を焼く。燃料は満杯搭載するが、節約のために編隊制約はしないので各機自己責任で追随せよ。
2.かぜがつよいので、高空はさけよ、3千フィート前後を飛べ。2機以上前を行く機の尾翼灯を見失うな。
3.(省略)
、、、イギリスの航空雑誌では省略削除されていましたが、ここにルメイの敵がい心が露骨にちゃんと搭乗員に指示されていたようです。
指示の第3項にルメイは『東京の下町では民家であっても、軍服や兵士のマフラーが作られている軍需工場であるから何も遠慮することはない、焼き尽くせ!』と無差別爆撃をことさら指示したようです。
このことは、後に、情報組織から日本軍部も知るところとなり、『戦時特別捕虜取り扱い法』を作って、3月10日以降のB-29乗員捕虜は死刑宣告処刑するようになったのだそうです。
それまでのB-29乗員は、国際条約に基づく捕虜扱いでした。昭和19年夏中国成都から九州地区爆撃して高射砲で撃墜された当時の中国から、台湾や、満州鞍山爆撃の隊長スチュアート・スランクも大牟田で丁重な捕虜扱いだったと聞いています。
3月10日の東京大空襲の、日本の新聞記事です。
3_10記事
低空、各所から侵入、、、は米軍側の指示項目どおりですね。無差別爆撃を『盲爆』としています。このときの大本営発表は撃墜15機で米軍記録14機と1機違いでした。7機が行方不明、7機が不時着、この乗員の殆どは潜水艦回収されているようです。
1月21日指揮官が変わる前までの、B-29の損耗率は大きくほぼ25%、高射砲によるものは少なくても、3000kmの帰途墜落や、せっかく基地にたどり着いても脚が出ないで地上出火機体も人員もみな失われるものもあり、初めての東京空襲の111機の内、34機が失われたようです。このうち高射砲被弾原因と思われるものはほんの数機で燃料不足不時着水没が目立ち、これが米軍上層部での『硫黄島占領を急げ!』に拍車をかけることになったようです。
まえの方のこうでも書いたように、硫黄島に鉄板溶接促成滑走路を作ってからは、搭載燃料も、14kリットルタンクローリー並で、、、遠い方のテニアン、サイパン組は、軽い焼夷弾のみの搭載だったようです。
14kl tankrory
一機当たりこれだけずつですから、200機で約4千トン級の油槽船の1隻分、6月以降の一回出撃300機なら6千トン級油槽船分、1944年の10月からは、カリブ海キュラソー島のオランダロイヤルダッチシェルの製油所から、4千トン級から8千トン級の油槽船12-3隻のピストン輸送、硫黄島から分が加わってからは最大17隻の油槽船をこの物量大輸送作戦に投入したのです。
ルメイの言葉が残されていた様です。『こんなに間断なく数百機もの大型の爆撃機が空襲してくるとは、日本の天皇も
参謀部も予想は出来なかったろう、日本全土の焦土化も近い』と6月に嘯いていたと言うことです。

これでも憲法改正してまで、戦争に拘わりたいですかね。東京大空襲のあの阿鼻叫喚地獄を経験してもらわねば判らない人なのでしょうね。
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コメント

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Re: お久しぶりです♩

> 氷室さん♩
> お久しぶりです(^^)
> お手紙ありがとうございます☆
> まだまだお元気そうで安心致しました♩
> 無線は最近、やっとD-STARをかじりかけています。
> そのうち氷室さんともゲート越えでQSOできそうですね☆
> 楽しみにしております。
> また、ブログにコメントさせていただきます♩

百合草さん、半年もほっといてごめんなさい。

3月下旬から左眼で眼底出血、で、右目は白内障、、、手術3k月待ちでお目倉さん並。、、、ブログや無線どころでなく、、、
6月下旬右目は明きましたが、、、落ち込みひどく、、、。ようやくなんとか回復中ですが体力消耗、半病人状態。
手紙書きます。

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Re: B29墜落の謎と東北空襲

> 初めまして。仙台の田村です。一昨日県立図書館から表題の本を見つけ借りてきました。そして今日偶然こちらのサイトに遭遇しました。少し驚いています。3月10日の空襲で、帰還しなかったB29が14機あったそうですが、そのうちの3機が蔵王連峰に墜落したようです。終戦後これらに関連して、どのようなことがあったかが書かれています。私は仙台のデパートで墜落した機の残骸を見ていました。 私は昭和7年生まれです。小学校最後の時でした。 

仙台の田村様、同い年、ただし早生まれで、中学一年、すでに学徒動員中で、ターレット旋盤工やっていました。

B-29といえども所詮は、結構翼面荷重の大きい、尾翼の面積の大きな 飛行機、日本の結構きつい季節風には、ずいぶんと苦労だった、、、のちに戦後富士山上空で、冬の季節風で、空中分解した旅客機もあるように、季節風の中の独立峰の上空の青天の霹靂、、エアポケットなどでは、飛行機の操縦装置も効かなくなるほどの、自然の脅威もあるようで、、、冬場は高射砲よりよほど多くの犠牲数が出ていることがあるようですね。

蔵王の場ワイはもっと後の季節でしょうが、不連続線付近では同じ状況だったりしたのでしょうね。

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