カリブ海の島 オランダ領アンティル諸島
カリブ海に浮かぶ島には間違いないし、このたびのハイチ大地震の島、イスパにオーラ島が16世紀から19世紀にかけてカリブ海最大の奴隷の島だった過去に、奴隷売買で一番栄えたとも言われる、ABC諸島、アルバ、ボネール、キュラソーなどの南米ベネズエラ海岸から60-70km離れて並ぶ、オランダ領アンティル諸島があります。中でもキュラソーは、まさか島の名前とは知らず、それはむしろリキュールの名前が島の名前になったんだろう?と言う人もあるほど。オレンジから作る酒が有名。又、ヨーロッパ各国で、売られている一般的なタバコの銘柄
「ピータースタイヴェサント」という巻きたばこがありますが、この名も、17世紀、この島々を治めた大統領の名前なのですね。このキュラソーが、昭和20年の東京大空襲と深い関係にあったと言ったら?、、、

「ピータースタイヴェサント」という巻きたばこがありますが、この名も、17世紀、この島々を治めた大統領の名前なのですね。このキュラソーが、昭和20年の東京大空襲と深い関係にあったと言ったら?、、、

UT(世界時)とUTC(協定世界時)とJST(日本標準時)と明石の子午線
テーマのジャンルが狭いというか、窮屈ですね。天文も地球物理も昔の言う「究理」もないデス。タイトルに上げた、かんむりの世界時と、協定世界時、使い分けられませんが、閏秒が何年かに1秒あるのが協定世界時だそうですから、自分のアマチュア無線のQSLカードに交信時刻をUTCとしていたのは正解でした。日本のある高名なJARLのお方で、UTとして居られる方がお見えのようですが、大丈夫でしょうかねえ?JST自体が、UTCの協定に従っているようですが。
そうです。日本の標準時JSTは、ロンドンのグリニッチ天文台の子午線基準器から正確に天測によって、東へ135°の東経135度の子午線を基準とした、詰まり協定世界時から正確に9時間進んだ時刻を、電波時計で知らせています。
日本の暦は、明治4年の12月16日(コレまでは陰暦基準)から一足飛びに、グレゴリオ暦太陽暦の世界基準の明治5年1月1日のお正月に開けてしまい、商家の番頭さん達が、もう元日の朝なのに慌てて小走りに蝋燭に火を灯した提灯を持って、未だ暮れでございまする!かけ取りに参りましたァ!と掛け売り顧客の家を慌てて廻ったという、コレはとあるTVのクイズ番組で、タマネギ小母さんだった回答者が正解し、さすがタマネギ小母さんはそのころもう東京にいて、ちゃんと見ていたんだァ!、、、と言うことになりました。丁度その年、もう2年前に幕府の観象台から東京の明治新政府文部省の東京天文台として引き継いだ麻布の天文台(その後麻布の連隊が居たりしたが、今は又東京大学の敷地)が、幕府の天文方が天測した経度より、僅かに4mだがずれていることを、測定し、日本地図全体を、4mだけずらすことに決めています。
そうです。日本の標準時JSTは、ロンドンのグリニッチ天文台の子午線基準器から正確に天測によって、東へ135°の東経135度の子午線を基準とした、詰まり協定世界時から正確に9時間進んだ時刻を、電波時計で知らせています。
日本の暦は、明治4年の12月16日(コレまでは陰暦基準)から一足飛びに、グレゴリオ暦太陽暦の世界基準の明治5年1月1日のお正月に開けてしまい、商家の番頭さん達が、もう元日の朝なのに慌てて小走りに蝋燭に火を灯した提灯を持って、未だ暮れでございまする!かけ取りに参りましたァ!と掛け売り顧客の家を慌てて廻ったという、コレはとあるTVのクイズ番組で、タマネギ小母さんだった回答者が正解し、さすがタマネギ小母さんはそのころもう東京にいて、ちゃんと見ていたんだァ!、、、と言うことになりました。丁度その年、もう2年前に幕府の観象台から東京の明治新政府文部省の東京天文台として引き継いだ麻布の天文台(その後麻布の連隊が居たりしたが、今は又東京大学の敷地)が、幕府の天文方が天測した経度より、僅かに4mだがずれていることを、測定し、日本地図全体を、4mだけずらすことに決めています。
2月の初午 続編 王子の狐など
前稿でお稲荷さんのお使いが狐であることは説明しましたが、何故そのお稲荷さんのお祭りというか縁日が、2月の初午かと言うことについては、平城京(奈良時代)の頃、京都の鞍馬で秦氏が、このお稲荷さんに地上に降りていただいた日がたまたまその年の2月の初午の日であった、と言う伝承だけで、,,落語界の剣道の達人でもあった(北辰一刀流の範士(7段))5代目柳家小さん師匠がこの事について漏らしたところでは、「昔の落語界では、馬は生まじめ動物で繊細、狐はずるがしこくて時々ツンとすます動物;まじめに歩く馬の尻馬に乗ってツンとすまして腕組みして目をつむった狐を想像してみろ、それが初午の姿ってコトじゃねえのか!、,って気風だったね」と詰まり秦氏云々というのもまあ、眉唾モノと言いたげでした。小さん師匠は殆どこの王子の狐は、好んで演ずることはありませんでしたが、晩年に近い初午の日にたまたま一席やったようでした。狐は人を化かす前に人の眉毛の数を読む、ですから狐に化かされないためには眉に唾を付けて何本か解らなくすると化かされないで済む、と言うのが「眉唾」の起源です。
------------------------------------------------------------------------
チョット一言;老爺心までにデスが、今年の2月の伝統行事、陰暦起因のモノを、安易に新暦に置き換えたが為に、おかしな、順序になっています。順を申しますと、2月1日の初午、ですから、2の午も13日です、そして節分が2月の4日、立春が、2月の5日、で、旧正月が一番最後の2月14日、商業主義の行事日バレンタインデーと重なるという順序です。折角の伝統行事の奥フカーイ意味が後世に残せて行きますかねえ?!チョイと心配な順序でした。
------------------------------------------------------------------------
------------------------------------------------------------------------
チョット一言;老爺心までにデスが、今年の2月の伝統行事、陰暦起因のモノを、安易に新暦に置き換えたが為に、おかしな、順序になっています。順を申しますと、2月1日の初午、ですから、2の午も13日です、そして節分が2月の4日、立春が、2月の5日、で、旧正月が一番最後の2月14日、商業主義の行事日バレンタインデーと重なるという順序です。折角の伝統行事の奥フカーイ意味が後世に残せて行きますかねえ?!チョイと心配な順序でした。
------------------------------------------------------------------------
2月の行事の一つ 初午
旧暦で行われた2月の行事は、節分・立春の他には、この立春後の最初の午の日に稲荷社のお祝いをすることがありました。現在では2月の最初の午の日と言われて、節分よりも前に来ることもあるノダ!そうですが、陰暦時代には絶対にあり得ないことでした。コレもモトを糾すと、空海コト弘法大師が、中国留学時代に聞き及んだ、インドのサンスクリットの農業神を導入してそれまでの稲荷信仰に活を入れたもノダなどと言う説もあるようですが、もっと単純に弥生時代稲作農業が移入されて、米が栽培農業によって収穫されるようになって、手に汗した稲作から得た貴重な米を、鼠の横取りからどうやって防ごうかと撚りより考えた末の、高床式高倉倉庫の脚柱の鼠返し板と共に、編み出された農業神で、ネコが未だ不在の時代に、鼠をせっせと捕ってくれたおキツネ様に対する民間信仰だったと考えればいいのではないでしょうか?ネコが日本に初の一匹が、輸入されたのはニャンと、、、5代目将軍綱吉の時代、ご機嫌伺いに参上した外人の土産物だったようです。直ぐにはねずみ取りなどは思いも寄らぬ大奥の限定ペットだったわけですから。





